About Me

ここでは、私がアロマの絵本作家になってマコの物語をつくることにもつながった、私に起きたある出来事について書き綴っています。
◆ ◆ ◆
その日は、突然やって来た。
今思うと、仕事柄肩こりや腕の痛みは常にあったので、右手の痺れには気にも留めていなかった。それが、前兆と言えば前兆だったかも知れない。その程度であった。
あの日は、仕事終わりに友人達と夕食を共にし帰ろうと車に向かっていた時に、1人の友人が「あれ?今日お酒飲んでないよね?」っと私に尋ねた。「飲んでないよ」と答えた私に、「少し千鳥足になってるよ」と‥。疲れているのかなぁ〜、私は軽く考えていた。
友人の言葉が気になったせいか、いつもより早く横になった。
しばらくして、夜中喉の渇きに目が覚めて、いつもの様に冷蔵庫からペットボトルを出し蓋を取ろうとした時、手からペットボトルが滑り落ちた。???。頭の中に何か起こった?とクエッション?とりあえず、左手で持ち上げ右手で蓋を取ろうとするとまたクエッション?開かない?何で? 違う力が入らないのだ。
そこから、しばらく呆然と座り込んでしまった。
どれだけ時間が経ったのかわからないが、頭の中は段々冷静になっていった。
まずは病院に行く。
どこの病院に行く?何科にかかるか?
その前にしておく事、万が一を考えて最低限生活に必要な物のピックアップ。
などなど細かい事ばかり考えていると明け方になってしまった。とりあえず、実家の近くの病院に行く事を決め母と妹に相談をして病院に行った。
妹の助言で内科と脳神経外科を兼ねている病院に行くと、すぐにMRIにて検査。その結果「脳梗塞ですね」と。「脳梗塞は、3時間が一つの目安と言われています。貴方の場合、残念ながら時間が経ちすぎているので‥」
「とりあえず、
すぐに大きな病院に行って下さい。入院してこれ以上広がらない様、治療して下さい。」
最初はなかなか現実が飲み込めなかった。
頭の中では、多分予感があったのだと思う。時間が経つにつれ、真っ直ぐ歩けなくなっていたし、病院に行く際には、祖母の杖をつかないと歩けなくなって来ていたし。
どうしよう‥。頭の中はパニック。
入院⁉︎
でも、最悪の事を考えて身支度して来たから大丈夫かな。
アンバランスなメンタルで、考えていた。
それから大きな病院に行き、私の身体に起こった事が、次第に明らかになった。起こった事がわかって来ると一気に恐ろしい程の不安と混乱が湧いて来た。それを抑えるかの様に、仕事の段取りの為の連絡をしまくって、何とか自分のバランスをとるのが、私の出来る精一杯の事でした。
状況を連絡した仕事仲間たちは、状況を聞き驚き心配してくれたのだが、私のいつもの悪い癖が出て「大丈夫!大丈夫!」と連呼。
「滑舌悪くない?」などと、おちゃらけてみせて相手を安心させるふりをしながら自分に言い聞かせていました。
入院初日の夜は殆ど眠れませんでした。
入院2日目。更に検査と作業療法士さんによるリハビリが始まった。
理学療法士さんによる歩行のリハビリでは自分の病気を知る為の勉強会とスケジュールがいっぱいだったため不安に駆られることも少なかったのだが、1日を終える頃にまた不安と恐怖との戦いが始まり、殆ど眠れなかった。
途中で見回りの看護師さんが、「睡眠導入剤持って来ましょうか?」と声をかけて下さったのだが、「大丈夫です」と伝えたものの、やはりその晩も眠れなかった。
その時、ふとどこからかラベンダーの香りがした様な気がしてきた。
翌日早々に妹に、エッセンシャルオイルを持って来てもらうようにとお願いした。
妹の到着を心待ちにしていた所、「これで良かった?」と早々に持って来てくれた。
今でもその時の事は忘れられないのだが、まるで小さな応援団がコミカルに、綺麗な音と香りを纏わせながらやって来たように見えたのだ。

思わず涙が溢れそうになるのを堪えながら、妹に「ありがとう」と一言。
妹も察してくれたのか、何も言わず帰って行った。そしてその夜から眠れるようになった。
病気と認識してから、不安と衝撃と絶望感に苛まれながら、表向きは明るい私を通して来たのですが、アロマの香りを身に纏ってから緊張感から解放され、心の静寂を取り戻してから、随分と冷静に自分の事を考える事が出来る様になっていた。
「まず、今出来る事は何か?」
「そして出来ない事は何か?」
その時の私は、箸も持てず、歩行も1人では不安定で移動は車椅子だった。
もちろん、自分の名前すら書けず、改めて自分の右半身に麻痺があるという事実をまざまざと思い知らされた。
今まで普通にできていたことができなくなったショックはあったが、アロマテラピーの学校で解剖学を学んでいたので、「私たちの脳の殆どは使われていない」という言葉を思い出し、「今まで使っていた脳細胞の一部は死んでしまったのなら使っていない部分を使えばいい!」と頭を切り替えて、頭の中にある箸の持ち方の記憶や字の書き方の記憶を思い出し、その日から実践してみることにした。
すると、箸を持つ手に少し力が入る様になったいった。もちろん、以前のようにはいかないが、右がダメなら左利きになろうと、左手の握力をつける様に意識して使うようになった。
また、自分の一つの目標を作業療法士の先生に伝えてみた。
「私は、仕事でワイヤーアクセサリーを作るのですが、もう一度作れるようになりたいです」
私の作った作品を写メで見せると、一言「わかりました。では、スパルタでいきましょうね」と受け入れて貰えたのだ。
今思えば、自分でも随分と無謀な事を言ったと思うが、その日からリハビリは少しづつハードになった。
力の入らない右手で積み木を掴む事から始まり、大→小に、積み木から小さな輪投げの様なリハビリ器具 上から下に物を持ち上げる。などなど‥
食事もフォークから箸へ、記憶が残っている間に‥
毎日のリハビリは、右手の回復目的の作業と右足の歩行訓練だった。歩行については余り実感がなく(歩いて病院に来たので‥)、運動機能回復訓練かなぁ?っと思っていた。
理学療法士の先生から説明があり、「筋力を落とさない事と真っ直ぐ歩く訓練を始めましょう」と。
私は、その時初めて自分が真っ直ぐに歩けていなかった事に気付いて愕然とした。
入院生活は、意外と忙しくて、朝の体温と血圧の検診から始まり、食事 身支度等済ませたら1日のスタート。午前中と午後に分かれて作業訓練と歩行訓練があった。
当時コロナパンデミックの最中であった為、殆どお見舞いや家族の面会もなく、この忙しさは私にとっての救いだった。
やっと入院生活に慣れてきて、ルーティンが出来上がってきた。
朝6時頃目が覚め、ゆっくりと歩いて面会室に行き、一杯の白湯を20分かけてゆっくり飲み干し、またゆっくりと歩いて病室まで戻り、1日が始まった。
この頃は体重も激減して、日によってはいつも歩く廊下で休憩を挟まないと病室まで戻れないこともあった。今思うと、徒歩で1分程の廊下を3〜5分かけて歩いていた。ただ、入院中の夜はとても長く一人の時間は不安と恐怖との戦いだった。そしてその度に、エッセンシャルオイルの蓋を開け香りに励まされる毎日だった。
それからある朝の回診のときに医師から「随分と血圧が落ち着いて来たので、そろそろ退院の日を決めましょうか?」っとお話が。
実は、入院した初日から「どれくらいの入院になりますか?」と無謀な事を医師に聞いていた私💦
「最短で2週間程度は入院ですね」と言われ初日は、落胆と仕事の段取りに翻弄されていた。それもあって、とにかく早く退院したい一心でリハビリにも熱が入っていたのだ。
その2週間が近づいた時に医師から言われたので、天にも昇る気持ちだった。日曜日は退院出来ないため話し合いの結果、入院してから丁度2週間目に退院が決まった。
退院の日が決まった事でリハビリにも更に力が入り、いつも週末に出ていた宿題(漢字の書取り)も、いつもより多く書いていたら、作業療法士の先生から「やり過ぎは、ダメですよ」と言われてしまった💦
病院の土日は、入院患者にとっても休日なのだが、私にとったは暇な時間をいかに潰すかということで頭がいっぱいだった。何故なら何かしていないと、不安と苛立ちで心がいっぱいになるからだ。
そんな時は、やはりアロマの力を借りながら、持ち込んだiPadで映画を見たりして過ごしていた。定期的に、巡回してくださる看護師さんからは「こちらの病室はいつもいい香りがしますね」と言われ、とても嬉しかったことを覚えている。